授業⑥まちづくりNPOの活動をインタビュー!

〈前回のおさらい〉

前回の授業では、いすみ市のまちづくりNPOいすみライフスタイル研究所(通称、いラ研)の奥村さんのインタビューに向けての質問づくりをしました。


また、奥村さんの取り組んでいる「地域活動」から派生して「まちづくりとは?」という問いについて考えました。

生徒達にとっては「まちづくり」という概念自体の理解が難しかったようで苦労していたものの、実際に取材する方に対する質問づくりに熱心に取り組んでいました。

いよいよゲストへのインタビューを敢行!

今回の授業では、とうとう取材本番!1人目のゲストである、NPOいすみライフスタイル研究所の奥村さんに直接質問を投げかけていきます。

取材班は、本番直前まで質問内容を何度も確認していました。一問一答ではなく、一つの質問に対してさらに深掘りする形で質問を重ねることがポイントです!

奥村さんが登場すると、一気に緊張感が走ります。

私たちは、奥村さんが取り組んでいる『地域活動』に興味があるので、質問を考えました。

奥村さんに取材の意図を伝えたら、早速一つ目の質問です。

なんでアイドルを目指していたのですか?

これは、奥村さんのプロフィールに書かれていたもので、奥村さんの「若い頃アイドルを目指していた」という記述が、生徒達にとってどうしても気になっていたのでしょう。

ちなみに、奥村さんの答えは、

周りにかっこいいとかかわいい言われて勘違いして、アイドルのオーディションを受けたら受かってしまい、さらに勘違い。とにかく、モテたい。キャーキャー言われたい。その一心でアイドル目指していました。

奥村さんの明るい人柄、目立ちたがりな?パーソナリティがわかる質問で、結果的には良いアイスブレイクになりました。

次の質問。

NPOの活動は楽しいですか?

まさに奥村さんの「地域活動」の仕事そのものに関わる質問!

奥村さんはこのように答えました。

東大、早大など名の知れた一流大学生の研修受け入れや、国際協力機構(JICA)の海外研修受け入れ(東ティモール、フィリピンなどからの留学生)を行っているなど、様々な出会いがあったりやつながりができたりしてとても刺激になっている。
驚いたのは、『いすみは田舎ではない』という東ティモールの留学生の発言。東ティモールの田舎は水道もガスも電気も無いし、道路も舗装されていない。人によって「田舎」の捉え方は違うということを理解した。自分の知らない世界を知るきっかけとなり、視野が広がった。

いすみライフスタイル研究所にいたからできた人との「つながり」と、そこから広がった自分の「視野」。奥村さんが活動に携わって感じた良さが伺える問答でした。

話し合いを通じて、まちが一つになる

いすみライフスタイル研究所ではいつから活動していますか?

いラ研は、その前進の「まちづくり推進協議会」が活動のスタート。いすみ市はそもそも「夷隅町、岬町、大原町」の3町が合併してできました。

3町はそれぞれ風土も人柄も違うので、最初はなかなか相容れなかったそう。でも、お互いが歩み寄るために、話し合いの場が持たれました。その話し合いでは、まず、お互いの悪いところを言い合ったそうです。

「大原は祭りバカだな」
「岬は気取っている」
「夷隅は何も無い」

その後に、お互いのいいところを言い合う。

「大原の祭り、楽しくて好きだよ」
「岬ってオシャレだよね」
「夷隅って自然豊かだよね」

お互いのことのいいところも悪いところも理解し、認め合う。地域によって特徴・性質・人柄が異なるいすみ市は、このようにして一つになっていったそうです。これはいすみ市に限らず、相互理解の方法として様々な場面で役立つのではないでしょうか。

大変な仕事は何もない。いつも笑顔で楽しく

次の質問。

大変だった仕事は何ですか?

仕事自体に大変なことはないけれど、『容姿』で苦労した。「金髪」は一般的に見れば「不良」の代名詞。そのため、「金髪」という見た目で「この人は仕事に不真面目だ」と判断されてしまうこともあったから。

でも、奥村さんは仕事に対して真剣でまじめに向き合っていて、現に「いすみ活性化」のために一生懸命仕事をしています。「金髪だからと言って不真面目とは限らない。仕事とは無関係」というのが奥村さんのモットー。
だから、「金髪=不良」と思っている人と仕事をすることで、「不真面目」レッテルを貼られて苦労することが、強いて言うのであれば「大変な仕事」ということです。

加えて奥村さんは話します。

NPOでの活動は「ボランティア」。ボランティアというのは、心から「やりたい!」と思ってすることで、「お金」など対価を求めてやる仕事ではないし、「大変だな「苦労するな」といって、耐えながらやる仕事でもない。「ボランティアをするときは楽しい顔でする」というのが、自分の決め事。
だから、ボランティア活動であるNPOの活動で大変なことは無い。

奥村さんのお話を聞いていて、お金はもらえないけど、「いラ研」を積極的にやりたい!と思えるのは、やっていて楽しいからだとわかりました。だから、協力してくれる仲間も多いのかもしれません。
野菜ソムリエで理事長の高原さん、ウェブデザインや英語翻訳を担当、日本のみならず世界にいすみライフスタイル研究所の活動を発信している副理事長の江崎さんなど。ちなみにぼく椎葉も、いラ研の活動の協力者の一人です。

「厳しい道を選べ」-小学校の担任の一言に動かされた奥村さんの人生

続いては

学生時代の思い出は何ですか?

という質問。

奥村さんは、高校1年生の時に暴行沙汰で停学になってしまったそうで、その時に小学校の時の担任が奥村さんを突然訪ねてきて、いきなり「俺は手相が見れる。手を出してみろ」と言われたそう。奥村さんの手を見て、先生が言った一言。

「お前は20歳と40歳で人生の大きな分かれ道がある。そのとき、厳しい方を選べ」

そう言われても、奥村さんはピンとくるはずもなく・・・
しかしながら、本当に20歳と40歳近くで「人生の分かれ道」が訪れたそう。

21歳、アイドル目指して東京へ行ったもののうまくいかず、アルバイトを続ける毎日を送っていたところ、いすみの実家から「帰ってきて家業を継いで欲しい」という連絡が。
東京で働き続けるか、いすみに帰って家業を継ぐか・・・
奥村さんは「いすみに帰る」という選択肢を選びました。

奥村さんは東京で危ないことに巻き込まれるなど、道を踏み外すようなことをすることなく、いすみに帰って家業を継いで、地域活性化のための活動に取り組み、更生していきました。

40歳、再び人生の分かれ道が。
「廃線寸前の危機に陥っているいすみ鉄道に対して支援をしてくれないか」という相談があったそうです。
「仕事(家業)もあるし、いすみ鉄道の支援もするのは大変だな、でもどうしよう」と悩んでいたところ、あの言葉を思い出します。

「厳しい方を選べ」

大変かもしれないけれど、奥村さんはいすみ鉄道の支援に取り組むことに決めました。沿線にムーミンの像を作って展示し、それが車窓の名物になりました。いすみ鉄道の利用者は急増し、廃線の危機から脱出、観光客に人気のローカル路線となりました。

その後、「厳しい道を選べ」と奥村さんを導いてくれた恩師と偶然再会したそう。
そのとき驚愕の事実が・・・

「実は手相なんか見れないんだよね。でも大体20歳と40歳で『人生の分かれ道』が来るものなんだよ。そうだっただろ?」

「手相が見れる」のはうそだったけれど、恩師の一言で奥村さんの人生が「良い方」へ導かれたのは事実。奥村さんの「今」がこんなにも楽しく幸せなのは、その恩師のおかげと、心から感謝していました。感動的なお話でした。

いすみを「看板が無くてもわかる」有名な街に

これからやってみたいことは何ですか?

という質問。

いすみを日本で一番有名な街にしたい。道路上に「いすみ市」という看板が無くても、ここを訪れる人が「いすみ市に入ったな」とわかるようにしたい。自然のぬくもり、おいしい食、人の温かさに触れることで、いすみ市と認識できるようにしたいね。

加えて、奥村さんは生徒たちにこう言いました。

一度東京で暮らしてみたらいいよ。そうすればいかに「いすみ」がいいところかよくわかる。自分も実際、東京暮らしを経て「いすみ」の良さに気づき、結果的に戻ってきた。外から客観的に地元を見てみる大切さを、実体験として感じている。

奥村さんの考えは、いすみに若者をずっととどめるという考えは持っておらず、一度いすみを出て東京とか都会に暮らしてみるのが大事ということ。そうすると、いすみがいかに治安がいいか、土地が豊かか、ご飯がおいしいかがわかる。いすみの「良さ」に気づけると。

奥村さんの考えには僕も同感です。僕も中高を宮崎で過ごし、都会に行きたいと思って東京の大学を出て、東京で2年働きました。でも東京の人の多さ、ビルの多さ、自然の少なさに「窮屈さ」を感じて、学生時代過ごした宮崎のような「田舎」が恋しくなりました。
自然いっぱいで、食べ物はおいしく、空気は新鮮で、人が温かい。それは、「都会」と「田舎」の「比較」で気づけたことです。

「地域活動」のやりがいは、まちの魅力が伝わること

仕事のやりがいは何ですか?

という質問。

宝島社が出版している「田舎暮らしの本」の「住みたい田舎」ランキングで、いすみ市は1位を獲得したのですが、「ランキング1位になったのは、いラ研の活動があったからこそ」と出版社の方からお言葉をいただいたのがとてもうれしかった。
このように、活動を通じて「いすみ市」の魅力がいろいろな方面に伝わり、移住者が増えたりメディアに取り上げられたりするのが「やりがい」になっています。さらに、この授業を企画した磯木さんのようないすみへの「移住者」が、いすみのために活動してくれるのがうれしい。

今後もいラ研の地域活動が様々な人たちを巻き込んでいき、地域活性化につながる活動がさらに増えていくと、いすみがより元気になりそうです!

質問を「深める」のは難しい?

こうして無事に、奥村さんの取材は終了。生徒達もホッとした表情を浮かべていました。ただ、終始質問が「一問一答」になってしまった印象。

ある質問をして、その答え。それから質問の話題が変わり、その答え。また話題を変えた質問。答え…。一つの質問に対して、さらに深堀りするということはできず、一つ一つの質問がそれぞれ独立したものになっていました。

次回の取材では、「質問を重ねてテーマを深堀りする」ということがさらにできるといいと感じました。

とはいえ、初回の取材を無事終えることができて本当に良かったと思います。次回に向けた課題も明確になりました!

テキスト:椎葉康祐