なくてはならない福祉施設を設立~ピア宮敷を支える3人の方々(内野さん・多田さん・伊東さん)

内野美佐さん/多田美穂子さん/伊東孝浩さん

プロフィール

■内野美佐さん(ピア宮敷 第一工房営業企画)

施設と地域がつながるような企画を立て、さまざまな方に協力してもらい、実施をおこなう。「いままで知らなかった人同士を笑顔にするような楽しいことを考えるとわくわくします」。

■多田美穂子さん(社会福祉法人土穂会 理事長)

2000年より障がい者支援施設を立ち上げ、利用者の健康、地域への貢献、社員一人ひとりの成長を願い、ピア宮敷を運営。

■伊東孝浩さん(夷隅郡市福祉作業所 所長代理)

2009年より勤続。利用者さんの個性に合わせながら作業を通じて成長できるよう心がけています。「福祉の仕事はとてもやりがいのある仕事です!」。

【ピア宮敷】

知的利用者の方を支援する施設。月に100人の方が利用、職員は約70名。西暦2000年に理事長が51歳で始め、そのあと娘である内野さんもやって来て加わりました。利用者と職員とでごま油やジャム、蜂蜜をつくり、販売もおこなっています。ピアカフェ、うどん店どんちゃんを運営。年に一度、施設でピアフェスタも開催。

<インタビュー>

「利用者さんがいかに幸せに毎日を送っていけるか、そのことだけを願っています」

―ピア宮敷では具体的にどんなことをしていますか?

伊東:利用者の方が40名ほど生活しています。ゴマなどの畑作業だったり、内職の作業だったり、利用者さんそれぞれの特性に合わせた作業を提供しています。

―障がい者の方と接する上で大変なことはなんですか?

伊東:利用者さんひとりひとり違う個性を持ってますので、この人と同じ対応を別の人にしてもうまくいかないということもあるので、個々の特性に合わせた支援をするのが難しいところです。

―理事長であるお母さんがピア宮敷をやりたいと言いだした時は反対しましたか?

内野さん:あまりのことにびっくりしたんですけど反対はしませんでした。母は私が小さい時から新しい事業を何度もやってきた人だったので、その話を聞いた時も応援するしかないと思いました。母の話から「これを自分の最後の仕事としてやっていく」という決意を感じたのも理由です。私の旦那さんもやっていた仕事を辞めて施設の始まりから一緒にやることにしました。

―なぜ千葉県で働くんですか?

多田:私たち一家は福岡の方から来ました。昔の一市五町、岬、大原、夷隅町、御宿、勝浦、一市五町のは障がい者の入所の施設はなかったんです。施設を建てるにはその中でないといけないという事情があって、縁がありましてこちらにきました。

―仕事をしていて最もうれしかったことはなんですか?

多田:利用者の方たちと一緒に生活してるとだんだん心が移っていってその人たちをすごく好きになっていきました。やっててよかったと思うのは、少しずつ皆さんが元気になって、いろんなことができるようになってくることですね。
その中で職員もパートの人たちも親切に、心を込めて支援してます。利用者さんがいかに幸せに毎日を送っていけるか、私たちはそのことだけを願ってやってます。今は17年で本当に明るい施設になりました。

伊東:一番は利用者さんが笑顔になっていくこと。日々作業だったり生活をしていく中で人間なのでいろいろなことがありますけど、最終的に利用者さんがニコニコ笑顔になって、私たちと一緒に喜びを感じあえるのが嬉しいことだと思います。

―ピア宮敷をこれからどんな施設にしていきたいですか?

多田:もっと利用者さんが住みやすい施設にしていきたいなと。これからグループホームもどんどん増えて来ると思いますので、とにかく今来てくれてる利用者さんが幸せになるように。4年前にピア宮敷でジャム作りをした中根小学校の生徒、いますか?教えたのこの人(伊東さん)です。古沢小学校では今もずっと芋掘りが続いてるし、そういったことで少しずつでも利用者さんのことをわかってほしい。これから先も明るいいい施設に持っていきたいので、みなさん卒業したらぜひ来てください。

伊東:中根小の4年生とジャム作りを毎年やらせてもらっていて、一番最初は芋掘りだったんですけど、その後古沢小1、2年生と芋掘りをやって、中根小4年生とはブルーベリーのジャム作りの交流会を、利用者の方たちと触れ合う機会をどうしても作りたくて始めました。ピア宮敷を地域の方、まずは子供達全員に知ってもらいたいと思います。

内野:ピア宮敷を通して障がいのある人もない人も、みんなが楽しく暮らせるっていうのをいろんな形でやっていきたいと思います。障がいのある方も一人一人全然違うので、だけどそれぞれの人が何か活躍できる機会をつくりたいなと思います。

―ピア宮敷名前の由来はなんですか?

多田:ピアって架け橋っていう意味があると聞いています。あなたと私の架け橋の真ん中にいます。宮敷は昔の住所で、岩熊字宮敷だったんですね。それで宮敷がついたんです。

―辛いことや大変なことがあった時、内野さんを支えてくれた人は誰ですか?

内野:家族です。家に帰って辛かったことを話したりはしないんですけど、家に帰るとホッとする。家に帰ったら、皆さんのうちもそうだと思いますけど、嫌でもご飯は作らなきゃいけないの。どんなにいろんなことがあっても家のことはやらなきゃいけないんですけど、そういうのをやってるうちに嫌なことを忘れていく感じなので、家が大事だと思います。

―50年後のピア宮敷はどうなっていると思いますか?

伊東:僕もう80歳超えてますね。でも10年だろうが50年だろうが、変わらず地域の為に進化し続けていると思います。

内野:子供からお年寄りまでいろんな人が遊びに来る場所になっていればいいなと思います。

多田:50年後というと私は120歳ですね。でもピア宮敷は50年先も100年先までやって行くと思いますので可愛がってください。

―利用者を増やす為にしていることはありますか?

伊東:支援学校の実習を受け入れたり、利用者さんにとっても、ピア宮敷という違う環境の場所に生活が移るわけなので、その体験をしてもらったりだとか。ピア宮敷という施設をよく知ってもらうことと、質の良い支援をして行くっていうことですかね。

―利用者さんの得意なことを引き出すコツはなんですか?

伊東:何事もやってみないとその人に何が合っているかわかりません。心配もありますけど、思いもよらないところで成功につながることもあるので、まず挑戦してもらうことです。心配もありますけど、思いもよらないところで成功につながることもあるので、とりあえずチャレンジですね。挑戦です。

「心こそ大切。何をやるにもそこに気持ちがあるか、思いがあるか」

―座右の銘を教えてください。

伊東:自分は中学校からバレーボールをやっていたんですけど、その部のTシャツの後ろに英語で「never give up」って書いてあって、意味わかる人いる?そう、「あきらめない」。その言葉を中学校からずっと背負ってきています。

内野:座右の銘というか心がけていることは、心こそ大切って言う。何をやるにもそこに気持ちがあるかとか、思いがあるかって言うことがすごく大事だと思うので、心こそ大切って言うのは忘れないように思っています。

多田:心しかないですね。なにかに行き詰まると、必ず自分はできるんだって言い聞かせてます。私はここにきたのが51歳でした。その時は岬町のことも知らないし福祉のこともわからなかった。でもわからないから何事も一生懸命になれた。恥も何もないですよね、わからないから人に聞くし、聞いたことを自分の肥やしにして行く。だから皆さんもこれからいろんなことにぶつかると思いますけど、自分はできるんだと心に決めて、良い人生を送っていただきたいです。私はそういうつもりで今もやっています。

―ピア宮敷で売っている蜂蜜の値段を教えてください。

内野:蜂蜜はこのくらいの瓶に入って1000円です。いすみで取れた蜂蜜です。150グラムぐらい。ピア宮敷の蜂蜜は、百花蜂蜜といって、百のお花の蜂蜜と書くんですけど、一つの種類に限定してなくて、いろんなお花の蜜を集めた蜂蜜のことを百花蜂蜜といいます。季節だったり蜂の巣箱の場所とかで味も色も香りも変わります。毎年味が違うので、1年に一回今しか食べれない蜂蜜です。

―ゴマはどうやって使っているんですか?

内野:6月ぐらいから、みんなが食べてるゴマ粒みたいなのを土に植えると、2週間後くらいにカイワレみたいな芽がプチって出るんですよ。その赤ちゃんの芽が出たのを、夏の暑い間、8月9月前半くらいまで水をかけてると私の背より高くなります。ゴマが生えてるの見たことあります?ゴマにはサヤがあって、その中にびっしりとゴマが入ってます。黒ごまも若いうちは白ゴマなの。色が白くて、育っていくとだんだん中身も黒くなっていくんですけど、一番下がパチンと弾けるんです。弾けるとゴマの刈り時という合図なのでみんなで抜きます。抜いたら、今度葉っぱを取って、茎にサヤだけが付いた状態にしたのを1ヶ月ぐらい干すとカラカラに乾く。緑色だったのが茶色になるんですけど、乾いたら今度、ブルーシートみたいなものを敷いてしゃんしゃん叩いて中身を全部落とします。それは楽しいからみんなでやってみたいなと思うんですけど。
今日本でゴマ農家さんってすごく少なくて、みんなが食べてるごま油ってほとんど外国産なんですよ。国産のごま油って0.1%しか売ってなくて、それはゴマを作るのが大変だからなんですね。大変なのでやってもお金にならないからゴマづくりをするところが少ないんだけど、いすみはみなさんのおばあちゃん世代までは、自分の家のゴマは自分の家で作ってた人が結構多いので、帰ったらゴマ作ってた?とか聞いてみるといろいろ教えてもらえるんじゃないかと思います。

多田:コーヒーカップ一杯でごま油どのくらい、何粒くらいになると思いますか?5000粒くらいですね。それが油になると大きいスプーンで4杯くらいしかない。だから1キロのごま油をやっても、100グラムのごま油になったら取れるかな?それだけ貴重ですし、うちのごま油は純粋な綺麗な金色をしていますので、ぜひスプーンで一杯飲んでください。ドレッシングで食べてみてください。

―1日の中で仕事は何時間していますか?

伊東:自分の場合は朝7時から出勤です。朝7時に利用者さんを迎える送迎バスに乗って迎えに行って作業所で働くんですけど、作業所に戻ってきて日中内職のお仕事をしています。
一応16時で上がる予定です。なので8時間ですね。

―内野さんに質問です。今でも昔住んでいた大阪が恋しいですか?

内野:提出させていただいた資料に、私が大阪生まれで中学校2年生まで大阪にいましたって書いたんですけど、遊びに行きたいとは思います。でも懐かしいなと思うのはその後住んだ福岡の方ですね。

―みなさんの生きがいはなんですか?

伊東:子供ですね。6歳と4歳の子供がいるので、その子たちの日々成長する姿が生きがいです。

多田:私の場合は利用者さんが事故なく楽しい毎日を送れること。実は私も障がい者なんです。身体の方なんですけどね、ペースメーカーを入れて40年。でも、毎日出勤すれば利用者さんがいろんなことを教えてくれてるところもあるんですね。だから家で寝てるよりは利用者さんの顔を見る方が楽しいし、これから先何年生きるかわからないんですけど多分仕事はしてると思うし。利用者さんの顔を見ることと、より良い生活ができるための支援を毎日考えながら、みんなでやっていくことが死ぬまでの生き甲斐かな。皆さん方もいつか病気になるかわからないけど、これからの未来があるから、いろいろなことがあっても逃げないで頑張ってください。

内野:私の生き甲斐は、家族と仕事と地域のことをやることです。その時間が本当にすごい楽しいので全然疲れないし、嫌なことがあっても楽しいことの方が多い。また自分しかできないということを見つけてやっていくのが本当に楽しいです。

―一般の人でもピア宮敷で働けますか?お給料はもらえますか?もらえたらどのくらいですか?

伊東:自分は福祉の勉強は全くしてきていません。福祉のことは知らずにピア宮敷に入って、そこから勉強をし始めました。なので資格がないと入れないということも全くなく、誰でも入れます。お給料はそれなりにいただいてます。一応茂原で家が買えるくらいにはお給料がもらえます。

―内野さんはこれまで住んだ千葉と大阪と福岡で、どこが一番楽しかったですか?

内野:今が一番楽しいです。毎日昨日より今日が楽しいっていう感じで。大阪は中学校までいたのでその時の友達や担任の先生と今も年賀状のやり取りは続いているんですけど、千葉というかいすみが好きです。

―(司会者)実際、生徒のみんながピア宮敷に行ったら、なにができますか?

内野:岬病院の斜め向かいにピアカフェがあって、そこにごま油を作る機械もあったりするので、ごま粒からごま油になるまでの作業をみんなで一緒にみたりとか、やりたいと思います。

伊東:利用者さんと触れ合うことがまずは一番だと思います。そういう交流会みたいなのを毎年やっているので、職場体験みたいな感じで一緒にスタッフ側として働いてもらうのもいいかなと思います。

―今まで実践した企画の中で一番好評だったのはなんですか?

内野:やらせてもらってよかったのは、岬中の皆さんとゴマを育てる企画をしたんですけど、それが中学生の皆さんと利用者さんと一緒に作業できたことと、周りの地域の方もちゃんと見ていてくださって、とてもいい取り組みですねと言っていただいたので、それが一番良かったと思います。

―今後はどんな企画をやっていきますか?

内野:これまでは、ピアカフェで利用者さんによる絵の展示を行ったり、それをハガキにして買えるようにしたりもしました。ハガキは一枚40円で、そのうちの10円は描いた人に渡るようにしました。カフェにはごま油を作る機械もあるので、ごま粒からごま油になるまでの作業をここのみんなとできたらいいですね。みんなと一緒に、新しい企画も作りたいです。
何か、こういうのをやってほしいなとかありますか?

―じゃんけん大会ですね。

内野:いいですね。施設の中だけで考えるんじゃなくて、みんなと一緒にこういうのやりたいって考えたものをやっていきたいです。今言ってくれたじゃんけん大会とかもやりたいですね。

―僕だったらお餅つきがいいです。

内野:頼りになりそう。みんなと一緒に企画から作っていきたいと思います。

―(司会者)いろんな企画をやってきたというお話でしたが、どんな企画をやってきましたか?また、失敗しちゃった企画はありましたか?

内野:私がやっている企画というのは、ピア宮敷と外部の人たちを結ぶということを中心にやっています。
利用者さんが日中描いてる絵があるんですけど、それをピア宮敷のカフェの壁に飾って"アーティスト展"をやったんです。日頃絵を描いてる方達って、お掃除とかみんなの洗濯物を叩くのが仕事の方達なんですけど、手先を使ってなにかすることが得意な人が多いから、その方たちのことを"木曜日のアーティストたち"と名付けて、そのアーティスト展をカフェでやりました。
カフェで利用者さんの絵を飾ることで、たまたまきたお客さんが、「こんなにすごい絵が描けるの」ってすごくびっくりしてくださって。日頃支援するスタッフっていつも見ているから、その絵がどのぐらいすごいのかわからなくなる時があるんですが、外からの「この絵はすごいよ」という声でみんなも元気になりました。

また、それをハガキにして気に入った絵を買えるようにしました。単に印刷して売ればいいんじゃなくて、それを一枚40円にして、その内10円は描いた人に渡るようにしたんです、施設長が考えたんですけど。そうすると絵を描いた人たちは喜んでくれるんです。
お小遣いみたいに溜まったらジュースを買おう、とか、もうちょっと頑張ってTシャツが欲しいな、とか励みになってたりするのでそれは良かったなと思います。
失敗したものは、夏に小学生に遊びにきてもらいたいと思って、ピア宮敷で取れるハーブとかを使ったエコバックのハーブ染を企画したんです。夏休みだから平日でも来てもらえると思って平日に設定したんですが、週末にしないとお父さんお母さんが車で連れて来られなくて、誰一人参加者が来ないまま、無かったことにしたイベントもあります(笑)。
今は自転車で町おこしみたいなことをやっていて、この地域、かっこいいロードバイク見たことある?走ってる人がいっぱい。そういう方が立ち寄れる場所にしようということもやっています。楽しみにしていてください。

(インタビュー:2018年度いすみ市立岬中学校1年生)

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房総メディアエデュケーションプロジェクトは、中高生と取り組む、「問い」を起点に考える力をつけ、地域を発信するプロジェクトです。2017年度より、生徒一人ひとりを主人公にする、教育を核にした地方創生のための新しいカリキュラムとして有志数名で取り組んでいます。
元々すべて自己資金で始めた活動ですが、地域にお金を回す事で当活動を継続できたらと思い、地域の方々にご協力頂き、「返礼品つき寄付金支援サイト」をつくりました。返礼品はすべて房総のとっておきの品ばかりです。どうぞご支援ご協力頂ければ幸いです。
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