地域経済を支える広い視野と経験~千葉銀行 大原支店長 郷家一紀さん

郷家一紀さん

プロフィール

千葉銀行 大原支店長

千葉県市原市在住。大学にて工学部機械系を専攻するも、1994年4月に地元の千葉銀行に就職。当初3年間は法人および個人の融資業務を中心にふたつの支店(稲毛・市川)で働く。4年目に日本橋に移り、デリバティブを中心に行う。2006年4月より5年間ニューヨーク支店に転勤。2008年にリーマンショックが起き、100年に一度と言われた金融危機をアメリカで経験。2011年4月より再び市場営業部に戻る。最後の2年半で銀行全体の資産運用を行うグループ長。その後、2018年10月1日付けで大原支店長となった。

【千葉銀行】

株式会社千葉銀行は、千葉県千葉市中央区に本店を置く地方銀行。千葉県内においてトップシェアを有し、単独の地方銀行としては総資産で第2位の規模を誇る。千葉県で栽培されるヒマワリをシンボルマークにしている。地銀でありながら、ニューヨーク・ロンドン・香港に支店を、上海・シンガポール・バンコクに駐在員事務所を持つ。

<インタビュー>

「愚痴を言わず、前向いて仕事しよう」英語を一生懸命に勉強してニューヨーク支店、そして大原へ

―どうして銀行員になろうと思ったんですか?

私は大学が理系で、理系で就職するにはメーカーくらいしかなかったんです。で、メーカーに就職するなら大学院に行った方がよりよかったんですけど、自分はこれ以上勉強したくなくて、就職を選びました。だから就職したいから結果的に銀行になったというのが本音です。

―支店長で大変なことはありますか?

やっぱり責任を持って目標の数字を取っていかなきゃいけないのは大変です。あと、行員17名をどうやって育てるか。新入社員もいますし、私より年上の人もいますしね。銀行員は同じ支店にずっといるわけでなく、2年とか3年たったら違う支店に移ります。その先でもお客様のためになるようにやっていかなきゃいけない。

―1ヶ月間で何かしらのノルマはありますか?

銀行に入る前は、銀行って、預金したいお客様が預金してくれて、借りたいお客様にお金を貸すっていう仕事だと思っていたんですね。でも銀行も株式会社なのでやはり稼がなきゃいけないんです。
今は普通預金の金利は0.001%。定期預金に預けても0.01%しか金利がつかないんですね。そこで銀行側としては、株式とか投資信託とかそういう運用商品をお客様に提案するということをやっています。あと、企業に対して資金ニーズを発掘し、貸し出しを増やすということをやっています。いかにお客様のお役に立てるかということが課題です。

―支店長で大変なことはありますか?

やっぱり責任を持って目標の数字を取っていかなきゃいけないということと、行員17名をどうやって育てるか。新入社員もいますし、私より年上の人もいます。そういう人たちも同じ支店にずっといるわけではなく2年とか3年経つと違う支店に転勤するので、その先でも活躍できるように人材育成をやっていかなきゃいけない。

―他の支店に対してライバル意識はありますか?

同期がいる支店は気にしちゃうかな。千葉銀行の同期入社は男は100人いるんですけど、それなりの年齢になってるので支店長になってる人も何人かいます。ライバル視はしていないけど、どうやってるのかな?っていうのは常に感じてます。逆に困った時には同期が一番聞きやすいので、電話で聞いたりもします。

―大原支店に来る前、ニューヨークへの転勤通知が来た時はどう思いましたか?

うれしかったですね。そもそも何でニューヨークに行きたいと思ったかというと、会社に入った時って全然英語ができなかったんですよ。英検3級しか持ってなくて、TOEICも全然で。英語なんてできなくてもいいやってずっと思ってたんですけど、東京三菱銀行(現:三菱UFJ銀行)に研修に行った時にみんな当たり前に英語を使ってたんですよね。海外支店があるから海外の人たちと英語でコミュニケーションしていて。そういう世界もあるんだと思って、研修が終わってから一生懸命勉強しました。それで、「英語を勉強していますので海外に行きたい」って人事部に言って。だから転勤通知は今でも覚えてます。朝いきなり言われて。

―日本とニューヨークの仕事の違いはなんですか?

まず違うのは英語を使うということ。コミュニケーションをとるときも英語だし、書類も全部英語で書いてあるので、それが一番の違いかな。日本人同士も英語で話したり。

―ニューヨークで印象に残っていることはなんですか?

まず建物が高い。日本と比べ物にならないくらい。何故かと言うと地震がないから。あといろんな人がいます。いろんな人種がいたので、それを受け入れる雰囲気というのはあったかな。あと、意外と学校で習った英語が通じなかったことですね。普段使う英語との違いを感じました。

―ニューヨークに転勤したとき家族も一緒に行ったんですか?

行きました。家族と一緒にニューヨーク郊外に住みました。そこの小学校では日本人の子も10人くらいいました。

―ニューヨークに行くことになった時、家族は反対しませんでしたか?

奥さんは喜んでました、すごく。子どもは現地の学校に行かせたので、長女の英語の発音は今でもいいですね。真ん中の子は日本に戻って来た時小学一年生と小さかったので全然忘れてますけどね。

―ニューヨークで5年間生活していた時に困ったことはありましたか?

意外と学校で習った英語と実際に使う言い回しが違うんだっていうのは感じました。例えば、ハンバーガー屋によく行ったんですけど、注文する時、流れとしては「いらっしゃいませ。何にしますか?」「じゃあハンバーグとポテトとコーラください」「他にありますか?」「特にないです。以上です」という流れじゃないですか。「いらっしゃいませ」は英語でどう言うかわかりますか?

―May I help you?

そうですよね。でも「May I help you?」と言う店員はまずいません。実際は前のお客さんの接客が終わったあと、「Next」って言うんです。「次」みたいな感じで。で、「ハンバーガーとコーラとポテトください」って言うんだけど、コーラは〝コーク″。〝コーラ″じゃ通じない。「注文は以上です」って言いたいときは?そのときは「That's all」は使わなくて、みんな「That's it」と答えます。そんなふうに勉強した言葉と実際に使われる英語との違いを感じました。

―ニューヨークで仕事をしていたということなので、英語は完璧ですか?

全然完璧じゃないです。やっぱり喋ってないとできなくなります。一応英語の力をキープするために英語のニュースを聞いたりしてますけど。継続は力なりじゃないけど、一生懸命毎日勉強してないと忘れちゃうのも早いなって思います。

―リーマンショックを体験して何か得たことはありますか?

仕事というのは楽しい時よりも苦しい時を覚えているのでよく覚えています。当時100年に一度起きるか起きないかというレベルの出来事で、千葉銀行含めいろんな金融機関が苦しかった。どうやったら苦しい中でもやっていけるかどうか一生懸命やってました。そんななかで他の銀行の人たちとも苦しみを分かち合えて、今でも彼らと付き合いができるっていうのはありがたいなと思っています。

―リーマンショックとはどういうことなんですか?

当時アメリカにはゴールドマンサックス証券、モルガンスタンレー証券、メリルリンチ証券、リーマンブラザーズ証券、ベアスターンズ証券という大きい5つの証券会社があって、2008年9月にリーマンブラザーズ証券が破綻したんですけど、その前の3月にベアスターンズ証券というアメリカで5番目に大きい証券会社が潰れました。リーマンブラザーズ証券も潰れちゃって、ほかのかなり大きい証券会社とか銀行も潰れそうになり、金融危機となって株が一気に下がってみんな物を買わなくなって経済危機が起きた。簡単に言うとそれをリーマンショックといいます。そのあと他の証券会社を潰しちゃいけないということで、日銀も含めて世界各国の中央銀行や金融機関がいろんな証券会社や銀行を救済しました。

―日頃から心がけていることはありますか?

「前向いて仕事をする」ということ。愚痴を言ってもしょうがないので。自分が選んだ道は正しいと思ってやってます。

―もし他の仕事につけたら何をしたかったですか?

もし能力があるならプロ野球選手になりたかった。高校まで一応野球やってました。甲子園には手が届かなかったんですけど。あと小学校の時に将棋もやっていて、才能があれば棋士かプロ野球選手になりたかったです。

―休日はなにをして過ごしていますか?

子供が3人いるので休日は子供の習い事に一緒に行ったりすることが多いかな。あとは次女がソフトボールをしてるので、練習中はずっと付き添ったりしています。休日は基本的には家族と一緒にいたりとか、夏休みは旅行に行ったりですね。

―千葉銀行大原支店に来て一カ月ということですが、どうですか?

「千葉銀行の大原支店としか取引しない」とおっしゃってくださるお客様もいらっしゃいますし、それは大変ありがたいなと。いろんなお客様がいらっしゃいますけど、地域でやっていくためにはみなさまに気持ちよく千葉銀行を使って頂こうと心がけています。

―どんな時に仕事にやりがいを感じますか?

今から20年くらい前、入行してから1年半だけ東京三菱銀行(現:三菱UFJ銀行)に勉強しに行っていたとき、そこでは当行で扱っていない商品を扱っていました。それを研修終わった後にチームを立ち上げて、関連部署などに協力してもらいながら新たに商品化できた時に大きなやりがいを感じました。

―今までの転勤先でよかったところはどこですか?

印象に残ってるのは一番最初に入った稲毛支店かな。一年目は研修期間中なので、営業したり融資をやったり窓口をやったり、お金を取り扱う出納をやったりとかして。最初の支店だったのでいろんな思い出があるし、そのときの人たちとは今でも交流がありますしね。

―仕事をしていて印象に残っている出来事はありますか?

入社して1年くらいのとき、ミスをして上司に怒られました。でも、怒られながらも「はいはい」って片手間に聞いて仕事をしていたんです。そしたらすごく怒られました。「怒られてる時はちゃんと俺の顔を見るんだぞ」って。確かに、怒られてるのに相手に向き合わないのは大変失礼でした。なので皆さん、誰かに怒られる時はちゃんと向き合って相手の顔を見てくださいね

(インタビュー:2018年度千葉県立大原高校3年生選択授業「一般教養」選択生徒)